蝸牛角上の争い|蝸牛角上之争|荘子 則陽篇|

第一章 大きく生きる

蝸牛角上の争い
ー蝸牛角上之争ー 荘子 則陽篇
(荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。荘周の撰。外・内・雑編から成り、内編七編以外の大部分は、後人の仮託になるものといわれている。「南華新経」ともいう。)
中唐を代表する詩人、白居易(白楽天)からの出典である。
{原文}
対酒、
蝸牛角上争何事。
石火光中寄此身、
随富随貧且歓楽。
不開口笑是癡人。
{書き下し文}
酒に対す、
蝸牛角上何事をか争ふ。
石火光中此の身を寄す、
富に随ひ貧に随ひ且らく歓楽せよ。
口を開いて笑はざるは是れ癡人。
*癡人:おろかな人。ばかな人。
{口語訳}
酒に対す
かたつむりの角のような小さなせまい場所で、
(人々は)いったい何を争っているのか。
(人生は)火打ち石から飛び出す火花のような一瞬の人生に、
この身を寄せているのである。
(そうと解かれば)貧富それぞれ分相応に、
ともかくよろこび楽しんで過ごすべきである。
(事に悩んで)大口をあけて笑うこともしないのは、まったく愚かである。

{意解}
昔、戴晋人という賢者が魏国の恵王が斉国を侵略しようとしたおり、
カタツムリにたとえて、諌めた語り。
「王にはカタツムリというものをご存知でしょうか」
「そのカタツムリの左の角には触氏という者の国があり、
右の角には蛮氏という者の国があって、絶えず領土争いを繰り返しておりました。
あるときなどは、激戦十五日にわたり、双方の死者数万を出すに及んで、
ようやく兵を引いたほどだと申します。この地上の争いも、
みなこのたぐいではありませぬか」
広い宇宙を思うとき、人の争いは「蝸牛角上の争い」と同じものかもしれない。
ああでもないこうでもないと争っても、小さな地球上での小さな事柄にすぎない。
この話を思い出せば、今の自分の争い事、悩み事を客観的に視れ、
より良い判断が導き出せるかもしれない。
貞観政要 卷二 論求諫 貞觀十七年に「諍臣は必ずその漸を諫む」とある。
「諍臣」とは、トップに過失があったとき、敢然として諌める臣下を云う。
しかし、そういう諍臣でも、諌めるときは、
「漸」すなわち兆しの段階で諌めるのだという。なぜなら、
末期症状を呈するようになっては、どんなに諌めても、
もはや手遅れだからである。
荀子 大略篇 第二十七にも
「国のまさに興らんとするや、必ず師を貴びて傳を重んず」ともある。
「師」と「傅」を合わせて「師傅」という。
尊敬するに足る相談相手、補導役である。
国を興すようなトップには
必ずそういう相手がついていたというのだ。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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