年五十にして四十九年の非を知る| 中国古典 名言に学ぶ

年五十にして四十九年の非を知る

年五十にして四十九年の非を知る

第⼆章

自己を高める

よわい五十にして四十九年のを知る

ー年五⼗⽽知四⼗九年⾮ー  淮南⼦ 原道訓
淮南⼦えなんじ|⼆⼗⼀巻。前漢の淮南王劉安が幕下の学者に命じて、
おのおのの専⾨について講論させて作った書。)

{原⽂}
凡⼈中壽七⼗歳、
然⽽趨舍指湊、
⽇以⽉悔也、以⾄於死。
故蘧伯⽟年五⼗、
⽽知四⼗九年⾮。

{書き下し⽂}
およそ人の中壽ちゅうじゅは七十歳、
しかしこうして趨舎指湊すうしゃしそう
よりしてもっつきとなればくやみ、もって死にいたる。
ゆえ蘧伯玉きょはくぎょくよわい五十にして、
四十九年のを知る。

趨舎指湊すうしゃしそう:出処進退。
蘧伯玉きょはくぎょく:衛の⼤夫。

年五十にして四十九年の非を知る

年五十にして四十九年の非を知る

{意解}

およそ⼈の寿命たるや七⼗歳、⼈は⽇々に⾔⾏動静げんこうどうせいありて、
やがてそのいるも、死に至りし頃なるが関の山である。
五⼗歳になってはじめて、 これまでの⼈⽣である四⼗九年間のあやまちをさとる。
⼈⽣を振り返り反省してみると、後悔こうかいだらけである。
何歳になっても⾃⼰をあらためれば向上していくことができる。

孔⼦が「君⼦なるかな籧 伯 ⽟」と
たたえるほどの⼈物の⾔葉である。

その理由に 「有道ゆうどう(正しい道にかなっている)の時代には官にあって活躍したが、
道が失われたと判断するや、 ⾝を引いて才智さいちをみせない」 と語っている。

また、孔⼦のもとに訪れた籧伯⽟きょはくぎょくの使者に
近況を問う答えに 「主⼈はあやまちを少なくしようとつとめておりますが
まだその甲斐がなさそうです」と 伝えている。
籧伯⽟という⼈物の常⽇頃からの修養しゅうようぶりがうかがえる。

蘧伯⽟がこのとした四⼗九年にりてのちつつし んで歩んだがゆえに、
「六⼗にして六⼗化す」と称されるにまで⾄ったのであろう。

*「中国古典⼀⽇⼀⾔」守屋洋(著)をもとに、
⾃分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、⽇々、何をするにしても
⼤なり⼩なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴⽅も私も 在りたいですね。

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