第四章 着実に生きる
徳を作せば心逸して日に休し、
偽を作せば心労して日に拙なり
ー作徳心逸日休、作偽心労日拙ー 書経 卷之六 蔡沈集伝
(書経:五経の一つ。堯、舜から夏、殷、周に至る間の政治に関する記録)
{原文}
位不期驕、祿不期侈、
恭儉惟德、無載爾僞。
作德、心逸日休。
作僞、心勞日拙。
{書き下し文}
位は驕ることを期せず、祿は侈ることを期せず、
恭儉惟れ德あり、爾が僞りを載とすること無かれ。
德を作すときは、心逸くして日々に休し。
僞りを作すときは、心勞しみて日々に拙なり。
* 恭儉:人に対してはうやうやしく、
自分自身は慎み深く振る舞うこと
{意解}
貴き位に登れば自然に驕りの心の生ずる、
収入が多くなれば自然に驕りの心が生ずる、
慎み深く振る舞えば德があり、偽りを載してはならない。
道に外れたことをしなければ、心にやましいことがないので、
毎日、楽しく安らかに暮らすことができる。
逆に、道に外れたことをしていれば、
それを隠したり取り繕ったりして毎日気苦労が絶えず、
仕事もうまく行かなくなるというのだ。
「徳」をなすか「偽」をなすかで、心の有り様が全く変わってくる。
この違いが大きいのだという。
おそらく、これは誰でも覚えがあるに違いない。
何か一つでも良いことをした日は、一日中、気持ちが軽やかになる。
ところが、意にそまない事をしたような時は、一日中、気分が重くなる。
これでは、仕事にも周りにも良い影響などあろうはずはない。
わずか一日でもそうなのだから、もっと長い期間となると、
その違いはさらに大きくなるかも知れない。
「偽を作す」のは、短期的には上手くいくかもしれないが、
長期的に見ると帳尻が合わなくなる。自分を偽らないで地道に生きたほうが、
結局は得になるのでは!
淮南子 巻十八 人間訓に「陰徳ある者は必ず陽報あり」の一文がある。
善行とは人に認めてもらいたいからするものではなく、人知れず行なうもの。
人知れず徳を積む者には必ず誰の目にも明らかなよい報いがあり、
隠れて善行をしている者には必ずはっきりとした名誉があるもの。と言っている。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。