人生、一分を減省せば、すなわち一分を超脱す|菜根譚 後集|

第一章 大きく生きる
人生、一分を減省せば、すなわち一分を超脱す
ー人生減省一分、便超脱一分ー 菜根譚 後集131項
(菜根譚:明の洪自誠編。前集222条では人との交わり、事治、対応の道を説き、後集135条では退静閑居の楽しみを論じている)
{原文}
人生減省一分、便超脱一分。
如交遊減便免紛擾、
言語減便寡愆尤、
思慮減則精神不耗、
聡明減則混沌可完。
彼不求日減而求日増者、
真桎梏此生哉。
{書き下し文}
人生は、一分を減省せば、便ち一分を超脱す。
如し交遊を減ずれば便ち紛擾を免れ、
言語を減ずれば、便ち愆尤寡く、
思慮を減ずれば、便ち精神を耗せず、
聡明を減ずれば、則ち混沌完す。
彼の日に減ずるを求めずして、日に増すを求むるは、
真に此の生を桎梏するかな。
* 減省:へらしはぶくこと
* 超脱:世俗的な物事から、更に高い境地にぬけ出ること
* 紛擾:もめ事、ごたごた、紛争。
* 愆尤:過失。
* 混沌:区別の無い世界。カオス。
* 桎梏:手かせ、足かせ、束縛。

{意解}
「この人生では、なにごとにつけ、減らすことを考えれば、
それだけ俗世間から脱け出すことができる。
たとえば、交際を減らせば、揉め事から免れる。
口数を減らせば、非難を受けることが少なくなる。
分別を減らせば心の疲れが軽くなる。
知恵を減らせば本性を全うできる。
減らすことを考えず、増やすことばかり考えている者は
この人生をがんじがらめにしているいるようなものだ」と「菜根譚」は言い、
雑用ばかり増やして忙しがっている人は「なんと哀れな者よ」という。
現代社会の歯車の中で(柵の中で)生きている私たちは、
人間関係を充実させることを思い煩い、
老いた俗人は饒舌ゆえに陰口を言われ、
半端な思考ゆえに軽視され、因って疎まれる。
減らすことは難しく、苦痛に感じるかも知れない。しかし、
減らすことが少しでもできれば、精神のストレスも減り、
自分を客観視できる時間も増える、それが、
人生の達人に近づける道なのかもしれない。
列子 説符に「大道は多岐なるを以って羊を亡う」とある。
脇道が多く、知らないうちに迷い込み目標の道を忘れてしまう。
「多岐亡羊」「亡羊の嘆」と略される。私たちには大きな目標が必要に思う、
目先の目的、目標が達成されると達成感、満足感で
ついつい脇道の甘い香りの誘惑に乗りやすいもの。
三十代にはこれを目標に、
四十代にはこれ、
五十代にはこれ、
六十代にはこれを目標に
何年も同じ目標に取り組めばなんとか出来るもの!
振り返ったときに後悔の少ない人生と思えるように生きたいものですね。
*饒舌:おしゃべり
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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