鷦鷯、森林に巣くうも一枝に過ぎず|鷦鷯巣於深林不過一枝|荘子|
第一章 大きく生きる
鷦鷯、深林に巣くうも一枝に過ぎず
ー鷦鷯巣於深林不過一枝ー 荘子 逍遥遊篇 第一の二
(荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。荘周の撰。外・内・雑編から成り、内編七編以外の大部分は、後人の仮託になるものといわれている。「南華新経」ともいう。)
{原文}
鷦鷯巣於深林不過一枝。
偃鼠飲河不過滿腹。
歸休乎君、予無所用天下為。
{書き下し文}
鷦鷯、深林に巣くうも一枝に過ぎず。
偃鼠は河に飲むも腹を満たすに過ぎず。
休を君に帰せん、予は天下を用いて為す所なし。
{意解}
ミソサザイは林の奥深くに巣を作るが、使うのは一本の枝に過ぎない。
「偃鼠(えんそ)、川に飲むも満腹に過ぎず」カワウソは黄河の水を飲むけれども、
腹いっぱいになるだけあれば十分だ。皆欲張らずに自分の分をわきまえている。
君よ、帰って休んでください。
私は天下を譲られたところで何もすることができません。と荘子は続けている。
これは許由(賢人)が聖天子の堯より天下を譲ると言われた時に
引用して断った言葉です。許由も自分にできることは、
ごく限られていると暗に言っている。
人は皆、欲があり利益を見せられるとつい手を出したくなるもの。
欲に目がくらみ、一喜一憂する人生を送りがちである。
欲は、人皆にあることで、誰もそれを笑うことはできない。
この「荘子」の言葉を思い出して、自分の人生を鑑みる事も、
心の平常心を保つのに役に立つと思われる。
(心のスキルアップ・無欲恬淡)
老子 第46章に「禍は足るを知らざるよりも大なるはなし」とある。
足るを知るとは あるがままの現実に常に満足すること。
人間の欲望は必ずエスカレートする。 欲望の赴くところは際限を知らない。
そんな欲望に引きずられて突っ走れば、 いずれは必ず足を踏み外すと云っている。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。