
初めあらざること無く、克く終わりあること鮮なし
第六章
初めあらざること無く、克く終わりあること鮮なし
ー靡不有初、鮮克有終ー 詩経 大雅 蕩
(詩経:中国最古の詩集。周初から春秋時代中ごろまでの詩を集めている。
現存するものは三百五篇。五経の一つで、初めは単に「詩」といったが、
宋代以降「詩経」と呼ばれるようになった。)
{原文}
靡不有初、
鮮克有終。
{書き下し分}
初めあらざること靡く、
克く終わりあること鮮なし。

初めあらざること無く、克く終わりあること鮮なし
{意解}
誰でも、物事の初めはみな努力するが、
その努力を最後まで持続させ有終の美を飾ることができる者はなかなかいない、
と言う意味になる。
何かを始めれば、最初は誰しも何とか成功させようと努力する。が
事が軌道に乗ると、ついつい達成感と慣れが生じ、
徐々に緊張感が緩んでしまう。
そしてちょっとした気のゆるみから、ミスが生まれ、
それが尾を引き致命的な打撃に・・・
といった事例も少なくはない。
そうならないためには、
1.初心を忘れず持続させるように心がける事。
2.順調な時こそ気を引き締めてかかる事。
このことを心に留めておく必要がある。
「初心忘れるべからず」である。
焦らずに少しずつコツコツとやっていくのが
実のところ長続きさせる秘訣なのかも。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。