
愚公、山を移す
第六章
愚公、山を移す
ー愚公移山ー 列子 湯問編
(列子:八巻。戦国初期の鄭のひと列御冠の撰とされているが、
偽作説もあり。別名「沖虚真経」。)
{原文}
愚公移山
{書き下し分}
愚公、山を移す

愚公、山を移す
{意解}
太行山と王屋山のふたつの山は、もともと今の場所にはなく、
昔は、はるか離れた冀州の南で河陽の北にあった。
その昔、北山に愚公という九十歳ちかい老人がいた。
彼の家は太行山と王屋山のふたつの山に面しており、
彼の家の出入り口が山の北側でふさがれていたので、
どこかに出かけるにも遠回りしなければならなかった。
あるとき、愚公は思い立って、山を切り崩しにかかった。
息子と孫と三人がかりでモッコをかつぎ、
渤海(ぼっかい)に土を捨てに行くのだが、
一往復するのに半年もかかったという。
其れを見て、近くに住む知瘦(利口者)という者が笑ったところ、
愚公は答えて
「私が死んでも息子がいる。息子には孫ができる。孫がまた子供を作り、
子々孫々受け継いで絶えることがない。
一方、山は今以上高くはならない。
平らにできないことがあろうか」と。
この「愚公、山を移す」の寓話が言わんとするところは、
1.長期的な視野
2.ユックリズム
の二つである。
愚公のように、長期的な展望の上に立って、焦らず、慌てず、
着実な前進を心がけることが、
結局は成功の近道なのかもしれない。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。