大行は細謹を顧みず、大礼は小譲を辞せず|史記|
第六章 成功の心得
大行は細謹を顧みず、大礼は小譲を辞せず
ー大行不顧細謹、大礼不辞小譲ー 史記
(史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史です。上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記しています。)
{原文}
樊噲曰、
「大行不顧細謹、大礼不辞小譲。
如今、人方為刀俎、我為魚肉。
何辞為。」
於是遂去。
{書き下し文}
樊噲曰はく、
「大行は細謹を顧みず、
大礼は小譲を辞せず。
如今、人は方に刀俎たり、我は魚肉たり。
何ぞ辞せんや。」と。
是に於いて遂に去る。
*如今:ただいま。いま。現在。
*刀俎:包丁とまないたのこと。
{意解}
樊噲曰はく、
「大きなことを行うときに些細な謹みなど顧みません。
大きな礼節を行うには小さな謙譲など問題ではありません。
今、まさに相手は包丁やまな板であり、我々は魚や肉なのです。
どうして(命を狙う項羽のところに再び戻り)
辞退の挨拶をする必要がありましょうか。」と言った。
こうして、(劉邦は決断して)遂に立ち去った。
「大行」は大きな仕事、「細謹」は細事を謹むこと。
「小譲」は小さな謙譲。合わせると
「大事をまえにして小事にこだわる必要がない」の意味になり、
決断を促す時に使われる。
劉邦が秦の都咸陽に入場した時。遅れをとった項羽は
劉邦に怒りを爆発させ、総攻撃の準備にかかった。
それを知った劉邦は自ら項羽の陣、鴻門に赴いて謝罪を申し入れる。
その席上、項羽の参謀氾増に命を狙われるが、
何とかその場はおさまり酒宴になった。
劉邦は手洗いに立ったのをきっかけに、
そのまま陣に帰ろうとする。が
項羽に暇乞いしてこなかった事を劉邦は気にしていた。
そのときの、お供の樊噲の言葉である。
「今の私たちは俎上の魚も同然。命が危ないという時に、
なんで挨拶などいりましょうか」といって決断を促した。
有名な「鴻門の会」である。
論語 学而第一 十二に「礼之用は和を貴しと為す」とある。
和だけではなく、それと同時に、社会生活の規範(礼)が
しっかりと定着していなければならない、と。
まさに「礼之用は和を貴しと為す」と語っている。
しかし、今から敵対するであろう相手に対して
「命が危ないという時に、なんで挨拶などいりましょうか」である。
*俎上:まないたの上。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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