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人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり|論語 為政 第二|

人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり50,96 第七章 人と接するための心得
人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり50,96

第七章 人と接するための心得

 

ひとにしてしんなくんば、そのなるをらざるなり

ー人而無信、不知其可也ー  論語 為政第二 二十二
【論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。 儒家の聖典とされている。四書の一つ】

原文:


子曰、
人而無信、
不知其可也

大車無輗、
小車無軏、
其何以行之哉。

書き下し文:


子曰しいわく、
人にしてしんなくんば、
なることをらざるなり。
大車だいしゃげいなく、
小車しょうしゃげつなくんば、
なにもってかこれをらんや。

人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり50,96

人にして信なくんば、その可なるを知らざるなり50,96

意解:


孔子曰こうしいわく、 「人としての信義しんぎがなければ、
うまくやって行くことなど出来ない。
大きな牛車にげい(くびき:牛馬をつなくための横木)が無く、
小さな馬車にげつ(くさび:軛止め)が無ければ、
どうして走らせる事が出来るだろうか」
馬車に欠かせないげいげつたとえて語っている。

「信」とは、嘘をつかない、約束事を守るといった意味である。
その「信」に欠けていたら、人としての評価に値しない、と言っている。
信頼できない人物のレッテルを貼られても、やむおえないだろう。

これは孔子の認識だけでなく、中国人の伝統的な認識でもあった。しかし、
これはあくまでも、かくありたいという理想であって、現実は人皆、
信義しんぎ」を持ち合わせているわけではない。
平気でうそをつく人物が多いのも確かである。

論語 季子第十六 4に「益者三友、損者三友」とある。
孔子は、付き合ってためになる友人(益者三友)、
付き合ってためにならない友人(損者三友)があるとして、語っている。
「為になる友人とは、実直じっちょくな人、誠実せいじつな人、良識りょうしきのある人。
為にならない友人とは、びる人、人当たりばかりよい人、口先だけはうまい人」だという。良い友人に恵まれるのは自分の人生にいての喜びである。
その人物を知ろうとする時には、付き合っている友人を見れば判る
語る人もいるぐらいなので、友を選ぶには
慎重しんちょうしたほうが良いのかもしれない。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。