
其の子を知らざれば、其の友を視よ
第七章
其の子を知らざれば、その友を視よ
ー不知其子、視其友ー 荀子 性悪篇 第二十三
【荀子:二十巻。戦国時代末期の学者、荀況の書。荀況は孟子に次ぐ大儒。孟子の性善説に対して、荀況は性悪説を唱えた】
原文:
傳曰、
「不知其子視其友、
不知其君視其左右。」
靡而已矣!靡而已矣!
書き下し文:
傳曰く、
「其の子を知らざれば、其の友を視よ、
其の君子知らざれば、其の左右を視よ」
靡而已矣!靡而已矣!
*靡而已矣!:納得!

其の子を知らざれば、其の友を視よ
意解:
古伝に「その人の人柄がわからなければ、その友達を見ればわかる。
その君主の人柄がわからなければ、その側近の者(ブレーン)を見ればわかる」
と言っている、
納得!納得!
自分の息子や娘が何を考えているのかさっぱりわからない。
と嘆く親が少なくない。
とくに現代のように、価値観が多様になり、
世代間の断絶が深くなっている現代においては、その嘆きも当然である。
わからないのが当たり前なのかもしれない。
人は環境に大いに左右される。
環境次第で、良くも悪くもなる。生活環境もそうであるが、
この一文は人的環境の事を言っている。
自己の意志が固まっていない若年者は、
付き合う友人の影響は無視できない。
親と対話する事が少なくなっても、
付き合っている友人関係がうまく行っていれば、
心配する必要はないのだが、
人生経験のある親から観て、
如何わしい連中と付き合っているようなら、
注意が必要だろう。
「其の友を視よ」の言葉は現代では尚更、
納得(靡而已矣)できると思われる。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。