
友と交わるには、すべからく三分の俠気を帯ぶべし
第七章
友と交わるには、すべからく三分の俠気を帯ぶべし
ー交友須帯三分俠気ー 菜根譚 前集十五
【菜根譚:明の洪自誠編。前集222条では人との交わり、事治、対応の道を説き、
後集135条では退静閑居の楽しみを論じている】
原文:
交友、
須帯三分侠気。
作人、
要在一点素心。
書き下し文:
友と交わるには、
すべからく三分の俠気を帯ぶべし。
人と作るには、
一点の素心を在するを要す。
*一点の素心:名誉や利益に固執しない純粋な心

友と交わるには、すべからく三分の俠気を帯ぶべし
意解:
友人関係を維持するには
三分程度相手に合わせる心をもっていなければならず、
人間としては、
名誉や利益に固執しない純粋な心をもって生きるべきである。
「俠気」は、男気である。
友人同士の付き合いであれば、
相手が困っているならなんとか手助けをしたいと思うもの。
しかし、なぜ「三分}なのか。
「俠気」は昔から中国でも、日本でも、弱きを助け強きをくじく
任侠道の原点とされてきた。
これは中国でも日本でも変わりがない。
始皇帝を感激させた「韓非子 五蠹篇 25」にも
「俠は武を以って禁を犯す」と語っている。
この義侠心の強い事は、ややもすると血気にまかせて
コントロールが効かなくなり、暴走する恐れを伴う。
友人との関係にしても、この「俠気・義侠心」を
八分、十分も発揮してしまうと、往々にして、
共倒れをしてしまう可能性もでてくる。
友人を助けるのは良い。だが、無理をして自分まで倒れてしまったら、
元も子もないではないか。
「三分」と抑えているのは、其の意味では妥当な数値かもしれない。
私的にそれで親友でいられるのか、
後悔はないのか、
心に後ろめたさを感じないのか、
と疑問も残る。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。