怨み豈に明らかなるに在らんや、見えざるをこれ図れ|中国古典 名言に学ぶ

怨み豈に明らかなるに在らんや、見えざるをこれ図れ50,96

怨み豈に明らかなるに在らんや、見えざるをこれ図れ50,96

第七章

うらあきらかなるにらんや、えざるをこれはか

ー怨豈在明、不見是図ー  書経 夏書 五子之歌
【書経:二十巻。「尚書」のこと。五経の一つ。堯、舜の伝説時代から夏、殷を経て、周代に至る間の政治に関する記録。初めは単に「書」といったが、宋代になって「書経」と呼ばれるようになった】

原文:
皇祖有訓、民可近、不可下、
民惟邦本、本固邦寧。
予視天下、愚夫愚婦、一能勝予、
一人三失、怨豈在明、不見是圖。
予臨兆民、懍乎若朽索之馭六馬、
為人上者、奈何不敬。

書き下し文:
皇祖こうそおしり、たみちかづくく、くだからず、
たみくにもとなり、もとかたければ邦寧くにやすし。
われ天下てんかるに、愚夫愚婦ぐふぐふいつわれまさる、
一人三失いちにんさんしつある、うらあきらかなるにらんや、えざるをこれはかれ、
われ兆民ちょうみんのぞむに、懍乎りんことして朽索きゅうさく六馬りくばぎょするがごとし、
ひとかみたるもの奈何いかんけいせざらん。

*奈何(いかん):いかんせん,なんともしようがない

怨み豈に明らかなるに在らんや、見えざるをこれ図れ50,96

怨み豈に明らかなるに在らんや、見えざるをこれ図れ50,96

意解:
皇祖こうそには教訓きょうくんがある。民とは親しまなければならないが、見下してはいけない。
民は国の根本であり、根本がしっかりしていれば、國は大丈夫だ。
われ天下を観察してみると、愚夫愚婦ぐふぐふでも私より勝るところがある。
上に立つ者が何回も過失かしつおかしたら、民のうらみは明らかであろう。
うらみや不満ふまんが形になる前に、手を打たなければならない。
われが兆民(民衆)に臨む時は、
ちたなわで六頭の馬をぎょす時のように注意を怠らなかった。
人の上にいる者は、敬畏けいいの心を持たなければならない。

おしえとして、人とは仲良くすべきで、けっして見下してはいけない。人は皆自分よりも勝るところを持ち合わせている。相手に対しては敬意けいいをはらい、尊重そんちょうする心を持って接するべきである。

何度も過失や失敗を繰り返していれば、不信感がつのるのも明らかで、
言動に表れる前に、目に見えない段階でそれを察知さっちし、手を打つべきである。
そのためには、たえず自分の行動を自問自答し、不満や不信感に繋がりそうな要素を取り除いておくべきで、災いを未然に防ぐ(事先予防)ためには、そういう心構えが必要だと言っている。

戦国策 中山策に「怨みは深浅を期せず、それ心を傷うに於いてす」とある。
些細ささいうらみでも、相手の心を傷つければ、手ひどいむくいを受ける、の意味。
こちらに其の気がなくても、たった一言で相手を傷つけ、生涯の敵をつくってしまうこともある。「人に物をほどこすのは多い少ないかではなく、その人が困っている時に行うことである。人のうらみを買うのは怨みが深いか浅いかではなく、その人の心を傷つけたかどうかである。われ、一杯のスープで国をうしない、一壺いっこの食物で二人の士を得た(心施しんせ)」と。こういった人間関係の機微きびは、現代でも同じであろう。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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