忠告してこれを善道し、不可なれば則ち止む|論語 顔淵第十二|

第七章 人と接するための心得
忠告してこれを善道し、不可なれば則ち止む
ー忠告而善道之、不可則止ー 論語 顔淵第十二 23
【論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。
儒家の聖典とされている。四書の一つ】
原文:
子貢問友、子曰、
忠告而善道之、
不可則止。
毋自辱焉。
書き下し文:
子貢友を問う。子曰わく、
忠告して之を善道し、
不可なれば則ち止む。
自ら辱めらるること毋れ。

意解:
「朋あり、遠方より来る、また楽しからずや」とは、
「論語」の初めのところに出てくる有名な言葉である。
孔子の時代には電話などという便利なものが普及していなかったから、
それだけ、友人と会う喜びも格別のものがあったにちがいない。
では、友人との付き合い方について、孔子はどう考えていたのだろうか。
あるとき、子貢という弟子からそのことを問われて、次のように答えている。
「忠告してこれを善導し、不可なれば則ち止む、自ら辱しめらるることなかれ」
相手が過ちを犯したときは、誠意を持って忠告し、それで駄目なら、
しばらく様子を見る。しつこく忠告しても、
自分が嫌な思いをするばかりで効果がない、と言っている。
あくまでも相手の自主性を尊重する姿勢なのである。
これもまた「君子の交わり」と言ってよいかもしれない。
莊子 外篇 山木第二十に「君子の交わりは淡きこと水の若し」とある。
水のように淡々とした交わりは、いつまでも飽きがこず、長続きする、と云う。
良好な人間関係を保とうとするなら、
君子の交わり(淡以親:淡くして以て親しむ)を
心がけたほうがいいのかもしれない。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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