墳せずんば啓せず、悱せずんば発せず|不憤不啓、不悱不発|論語 |
第八章 リーダーの心得
墳せずんば啓せず、悱せずんば発せず
ー不憤不啓、不悱不発ー 論語 述而 第七の八
【論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。
儒家の聖典とされている。四書の一つ】
原文:
子曰、
不憤不啓、不悱不發。
擧一隅而示之、不以三隅反、
則吾不復。
書き下し文:
子曰く、
墳せずんば啓せず、悱せずんば発せず。
一隅を擧げてこれに示し、三隅を以て反さざれば、
則ち吾復せざるなり。
意解:
「自己啓発」ということがよく耳にするが、
もともとは「孔子」の教育方針を語った文章が「啓発」の語源である。
「憤」とはやる気が盛り上がってきた状態、
「悱」とは、言いたいことが口元まで出かかっている状態をいう。
全体の意味はこうなる。
「教えを乞う者が、まず自分で道理を考え、その理解に苦しんで
歯がみをするほどにならなければ、解決の糸口をつけてやらない。
説明に苦しんで口をゆがめるほどのそういう相手でなければ、
助け舟は出してやらない」と。
教育というのは、やる気のある相手に
ちょっと手を貸してやるだけなのだという。
孔子は、もう一つダメ押しをしている。
「その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、
同じことを繰り返す指導は差し控える他はない」と。
厳しい言葉ではあるが、もう一度、自己を振り返り、
「自己啓発」の意味を噛みしめるべきであろう。
大学 伝二章にも「苟に日に新たに、日日に新たに、また日に新たに」とある。
殷の時代の湯王という明君は、洗面器にこの一文を刻み込み
「修身」の決意を日々新たにしたといわれる。 日本では土光敏夫氏が
この言葉をモットーにして徳を磨き「行革」に努めたと聞く。
その内容は「修身、斉家、平天下」を説いたもので
その内の「修身」の中に出てくる一文。
自分を鍛えようとする自覚的な努力を促する”自己啓発のすすめ”の言葉である。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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