その身正しければ令せずして行わる|其身正、不令而行|論語 子路|

第八章 リーダーの心得
その身正しければ令せずして行なわる
ー其身正、不令而行ー 論語 子路第十三の六
【論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。儒家の聖典とされている。四書の一つ】
原文:【子路第十三の六】
其身正、不令而行。
其身不正,雖令不從。
書き下し文:
その身正しければ令せずして行なわれ、
其の身正しからずんば、令すと雖も從はず。
原文:【子路第十三の十三】
子曰。
苟正其身矣。
於從政乎何有。
不能正其身。
如正人何。
書き下し文:
子曰く、
苟も其の身を正しくせば、
政に従ふに於て何か有らん。
其の身を正しくする能ずんば、
人を正しくするを如何せん。

意解:
有名な一節である。
自分の行いが正しければ、命令するまでもなく実行される。だが、
自分の行いが間違っていれば、いくら命令しても実行されない。という意味。
孔子はまた、「子路第十三の十三」でこうも語っている。
「苟も其の身を正しくせば、政に従ふに於て何か有らん。
其の身を正しくする能ずんば、人を正しくするを如何せん」
自分の行いさえ正しければ、立派に政治を担当していける。だが、
自分の行いに汚点があったら、人を導くことなどとんでもない話だ、
というのである。
これが「徳治主義」と呼ばれる統治理論の原点である。
上に立つ者が率先して姿勢を正す。そうすることによって、
おのずから下の者を感化していくという考え方だ。
これが難しいことは、今の政界の現状を引くまでもなく明らかであろう。
だが、やはり各界のリーダーは、このレベルを目指してほしいと思う。
貞観政要 論誠信第十七 第一章に「流水の清濁はその源に在り」とある。
流水が澄んでいるか、濁っているかは、源の善し悪しにかかっている。
君主と人民の関係を河に例えれば、君主は源、人民は流水のようなものだ。
君主が自分ででたらめな事をしておきながら、
臣下にまっとうなことを期待するのは、
ちょうど濁った源をそのままにしておいて流水の澄むことを望むようなもの、
土台無理な話ではないか、と云っている。
自分の普段の言動をチェックしてみる(自戒)必要があるのかもしれない。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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