我を馬と呼ばば、これを馬と謂わん|中国古典 名言に学ぶ

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第一章

われうまばば、これをうまわん

ー呼我馬也、而謂之馬ー  莊子 天道篇
【荘子:三十三篇。戦国中期の道家荘周とその一門の思想を記したもの。
荘周の撰。外・内・雑編から成り、内編七編以外の大部分は、
後人の仮託になるものといわれている。「南華新経」ともいう】

原文:
昔者、
子呼我牛也、
而謂之牛、
呼我馬也、
而謂之馬。

書き下し文:
昔者きのふ
子我を牛と呼ばば、
すなはこれを牛と謂ひ、
われうまばば、
これをうまわん。

意解:
ある男が老子の評判を聞いて会いに来た。
ところが、家中乱雑に散らかっていて、
人間の暮らしとも思われない。かれは、さんざん毒づいて帰っていったが、
翌日また会いにきて昨日の非礼をわびた。すると老子はこう語ったという。

「きみは知者だの聖人だのといった懸念けねんにわずらわされているようだが、
わたしはそんなものはとっくに卒業したつもりだ。昨日、
もしきみがわたしを牛だと言ったら、わたしは自分を牛だと認めただろう。
馬だと言ったら、やはり馬だと認めただろう(我を馬と呼ばば、これを馬と謂わん)。
人がそう言うからには、それなりに根拠があってのことだ。
それをいやがって逆らったりすれば、いっそうひどい目にあうものさ。
わたしはいつだって逆らったりはしないよ」

何ものにもとらわれない生き方ということだ。
あるがままに、自然の流れに逆らわずに暮らす「無為自然」。
ここまで達観たっかんできれば、
人生の味わいもまたいちだんと楽しいものになるのかもしれない。

*「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

人生は楽しむためにある。楽しみなくして、なんの人生ぞや!

 

 

ナオン について

美容業界での長年のマネージメント能力を活かし、 人生の選択時により善い選択(決断)の一助になればと、 中国古典の「意解」に取り組んでます。 古希を目前にして振り返れば、 その折々により善い選択(決断)が出来なかった事、 心ならずも人の心を傷つけてしまった事に、 後悔の思いは数知れず、走馬灯のように過ります。 私のように後悔先に立たずという思いは 読者には少しでも避けてほしいとの思いで ”中国古典 名言に学ぶ 総集編”を作成しました。
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