人を看るには、只だ後の半截を看よ|看人只看後半截|菜根譚 前集|

第二章 自己を高める
人を看るには、只だ後の半截を看よ
ー看人只看後半截ー 菜根譚 前集 92項
【菜根譚:明の洪自誠編。前集222条では人との交わり、事治、対応の道を説き、後集135条では退静閑居の楽しみを論じている】
原文:
声妓晩景従良、一世之胭花無碍。
貞婦白頭失守、半生之清苦倶非。
語云看人只看後半截。真名言也。
書き下し文:
声妓も晩景に良に従えば、一世の胭花も碍げ無し。
貞婦も白頭に守りを失えば、半生の清苦も倶に非なり。
語に云う、「人を看るには只だ後の半截を看よ」と。
真に名言なり。
*声妓:歌をうたって酒宴の席をとりもつ女性。

意解:
芸妓でも、晩年に身を固めて貞節な妻になれば、
昔の浮いた暮らしは少しも負い目にならない。
貞節な妻でも、白髪になって操を破れば、
それまでの苦労が全て水の泡になる。
諺にも、「人の値打ちは後半生できまる」とある。真に名言だ。
晩節(晩年の節操)を汚さず全うすることは難しい。だからこそ、
後半生の生き方で、その人の値打ちが決まってくると言っている。
自分の過ちを過ちとして認め、憚ること勿く改める事が出来れば、
終わり良ければ総て良しと言う事だ。
荘子 知北遊篇に「人生は白駒の隙を過ぐるが如し」ともある。
自分の短い人生、どうすごすか!
「天地は永遠であるが、人生は二度と戻らない。
人の人生はせいぜい百年、あっという間に過ぎ去ってしまう。
幸いこの世に生まれたからには、楽しく生きたいと願うばかりでなく、
無駄に過ごすことへの恐れをもたなければならない」と(菜根譚)は語る。
楽しみのない、振り返って何もない人生では、
生まれてきた意義がないのでは!
有意義に、かつ楽しく!
生まれて、死ぬまでの間の自分のドラマを作り上げ、
「我が人生に悔いなし」
こんな言葉を笑いながら言える半截にしたいものですね。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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