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徳は才の主、才は徳の奴なり|徳者才之主、才者徳之奴|菜根譚 前集

徳は才の主、才は徳の奴なり 第六章 成功の心得
徳は才の主、才は徳の奴なり

第六章 成功の心得

 

とくさいしゅさいとくなり

ー徳者才之主、才者徳之奴ー    菜根譚 前集 140条
{菜根譚:明の洪自誠編。前集222条では人との交わり、事治、対応の道を説き、後集135条では退静閑居の楽しみを論じている}




{原文}


徳者才之主、才者徳之奴。

有才無徳、
如家無主而奴用事矣。
幾何不魍魎猖狂。




{書き下し文}

とくさいしゅさいとくなり。
才有り徳無きは、
家に主なくして、もちうるがごとし。
幾何いかん魍魎もうりょうにして猖狂しょうきょうせざらん。

魍魎もうりょう:様々な化け物、妖怪変化
猖狂しょうきょう:常軌を逸した振る舞いをすること

徳は才の主、才は徳の奴なり

徳は才の主、才は徳の奴なり




{意解}

厳しい現実を生き抜いていくのに必要な条件の一つに、
才能(能力)があげられる。

才能だけでは不十分で、人格的な要素「人徳じんとく」も必要だとっている。
人はそれぞれ、能力を持ち合わせている。先ずは、
自身の能力をしっかりと自覚じかくし、そしてみがいていく。

 もう一つ「とく」、すなわち人格的な要素を必要とする。
才能と人格、これは自転車の両輪のようなものだと言っても良いだろう。
では、この二つの要件のうち、どちらが重要なのか。
菜根譚さいこんたん」によれば、人格のほうが主人で、才能は召使いにすぎないのだと言う。

「才能があるのに人徳(人格)が伴わないのは、主人が居ない家で
使用人がわがもの顔に振舞っているようなものだ。これでは、
せっかくの家も妖怪ようかい巣窟そうくつとなってしまう。」と付け加えている。

つまり、出来る人物が意外なミスをすることがあるが、それはやはり
才能(能力)だけが先走って、
人格(人徳)がともなっていないからかもしれない。
才能のみ磨くのではなく、人格(人徳)も高めないと
道を間違えてしまいますよ、ということだろう。

中庸に「智、仁、勇の三者は天下の達徳なり」とある。
とりわけ重要な徳が智、仁、勇の三つだと云っている。

智:深い読みと適切に処理できる能力
仁:人を思いやる心
勇:決断できる能力
この三つの徳は、きびしい現実を生きていくうえで、
必要不可欠なものであると思われる。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。