盡く書を信ずれば則ち書なきに如かず|盡信書、則不如無書|孟子|

第二章 自己を高める
盡く書を信ずれば、則ち書なきに如かず
ー盡信書、則不如無書ー 孟子 盡心章句下3
(孟子:七編。戦国中期の儒家孟可の言行や学説を編集したもの。性善説や王道論は有名。四書の一つ。)
{原文}
孟子曰、
盡信書、則不如無書。
程子曰、
載事之辭、容有重稱而過其實者。
學者當識其義而已。
苟執於辭、則時或有害於義。
不如無書之愈也。
{書き下し文}
孟子曰く、
盡く書を信ぜば、則ち書無きに如かず。
程子曰く、
事を載す辭は、重く稱して其の實に過ぐる者有る容し。
學者當に其の義を識るべきのみ。
苟も辭を執れば、則ち時に或は義を害うこと有り。
書無きの愈れるに如かざるなり、と。
*程子:儒学者、程顥・程頤の尊称

{意解}
ここで「孟子」が言う「書」とは「書経」のことである。
孟子は儒家の正統を継ぐ人物で、 「書経」はその聖典なのである。
通俗的に考えれば、 孟子がこの「書経」を法律的・絶対的に
信奉してもおかしくない立場である。
その立場の孟子のこの言葉は 深み、重みを感じる。
「書経」だけでなく すべての本に当てはまるといえる。
何でも盲信・過信すれば、 危険な面も無きにしも非ずである。
とくに権威を纏った本であれば 尚更、
懐疑的な思考を心がけたほうがよいのかもしてない。
人の話を聞く場合でも、全く同じである。すべて、
鵜呑みにするのではなく、自分なりに捉えてこそ 身につくものだろう。
菜根譚 前集 56項に「書を読みて聖賢を見ざれば、鉛槧の傭たり」とあり、
古人の書物を読んで、字句の解釈だけで聖賢の心に触れなければ、
それは単なる文字の傭われ者にすぎないと言っている。画餅に終わらさず、
その折々に思い出し、より善い選択(決断)ができるように
己に落とし込みたいものですね。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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