縦欲の病は医すべし、而して執理の病は医し難し|菜根譚|

第⼆章 自己を高める
縦欲の病は医すべし、而して執理の病は医し難し
ー縦欲之病可医、⽽執理之病難医ー 菜根譚
(菜根譚:明の洪⾃誠編。前集222条では⼈との交わり、
事治、対応の道を説き、後集135条では退静閑居の楽しみを論じている)
{原⽂}
縦欲之病可医、
⽽執理之病難医。
事物之障可除、
⽽義理之障難除。
{書き下し⽂}
縦欲の病は医すべくして、
而して執理の病は医し難し。
事物の障は除くべくも、
而して義理の障は除き難し。

{意解}
私欲に凝り固まった病は治すことができる。 だが、
理屈に凝り固まった病はどうすることもできない 。
物事に纏わる障害は排除できるが、
道理に纏わる事は除き難い。 という意味だ。
「縦欲の病 」 これは本⼈が何かを悟るとか、 周りの状況が変わるとか、
ちょっとしたキッカケで変わることがある。 そういう例が少なくない。
「執理の病 」とはすなわち頭の中が凝り固まった状態。
知らず知らずのうちに身についたものの⾒⽅が固定化し、
⼈の意⾒に⽿をかさない、あれこれ視点を変えて
眺めることができなくなる状態である。
難しいのは、ものの⾒⽅を変えること、
考え⽅を変えることなのではないだろうか。
⾃分の意⾒をもつことは良い。それはむしろ、
社会⼈として必要なことである。
しかし、頑なに固執して譲らないというのでは、
⾃分の進歩もないし、他との⼈間関係も円滑にゆかない。
⾃分の殻を破ることも必要だろう。
まずその⽋点を⾃覚する事が⾃⼰改善の第⼀歩になるだろう。
お互いに「仁」の⼼で接することができれば、
他との⼈間関係も円滑にできるのではないだろうか。
荀子 解蔽篇に「人の患は一曲に蔽われて大理に闇きにあり」とある。
人には元々、事実を事実として認めたがらない心理的傾向があり、
すべてのものを自分の持っている基準に 当てはめて考えようとするらしい。
いわば認知構造の歪を本来持っているわけだ。それから免れようとするなら、
自覚的な努力によって、
一、固定概念からの脱却
一、冷静な判断力の養成
一、確かな情報の入手
などに努めなければならないということだろう。
備考:
「仁」 相⼿の気持ちや⽴場に⽴って考えること。つまりは思いやりである。
「⾃分の名誉を⼤切に思うなら、まず他⼈の名誉を重んずる。
⾃分が⾃由でありたければ、まず他⼈の⾃由を重んずる」
*参考資料:「中国古典⼀⽇⼀⾔」守屋洋(著)をもとに、
⾃分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、⽇々、何をするにしても
⼤なり⼩なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴⽅も私も 在りたいですね。
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