険を行って以って幸を徼む|行険以徼幸|中庸 第十四章|

第六章 成功の心得
険を行って以って幸を徼む
ー行険以徼幸ー 中庸 第十四章
(中庸:もと「礼記」中の一篇であったが、後に四書の一つに数えられた。孔子の孫の子思の撰と伝えられている。)
{原文}
在上位不陵下、
在下位不援上、
正己而不求於人、則無怨。
上不怨天。下不尤人。
故君子居易以俟命。
小人行険以徼幸。
子曰、射有似乎君子。
失諸正鵠、反求諸其身。
{書き下し文}
上位に在っては下を陵がず、
下位に在っては上を援かず、
己を正しくして人に求めざれば則ち怨みなし。
上天を怨みず、下人を尤めず。
故に君子は易に居て以って命を俟つ。
小人は険を行って以って幸を徼む。
子曰く、射は君子に似たるあり、
諸を正鵠に失いて、諸をその身に反求すと。
*正鵠:物事の急所・要点
*反求:反省

{意解}
自分が上位にある時は下の者を陵いで虐待することがなく、
下位にある時は上の者に媚びて出世を求めることがなく、
我が身を正しくして他人に求めることがなければ怨みもなくなる。
上は天を恨む気持ちがなく、下は他人を咎める心がない。
そのため、君子は安楽な境地にあって、
天命を待って甘んじて受け容れることができる。
小人は危険な行為を行ってでも、世俗的な幸福を得ようと願っている。
孔子曰く、弓を射るのは君子に似たところがある。
矢が的を外してしまった時には、
何が悪かったのかと自分の射ち方について反省するのである。
人は、ややもすると希望的、楽観的思考に走り
「険を行って以って幸を徼む」になりがちである。
射術における反省と君子の自省とを例にとり、警鐘している。
この一遍を心に留め日常の己の行動を振り返り自省することも必要に思われる。
老子 第46章に「禍は足るを知らざるよりも大なるはなし」とある。
満足を知らないことより大きな災いはなく、欲しがることより大きな過ちはない。
ゆえに、足るを知るとは あるがままの現実に常に満足することだという。
何事も求めすぎない事だろう。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
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