君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す|中国古典 名言に学ぶ

君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す

君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す

第四章

着実に生きる

君子くんしげんとつにして、おこないにびんならんとほっ

ー君子欲訥於言而敏於行ー    語論 里仁 第四之二十四(訥言敏行)
(論語:十巻二十編。孔子や孔子の門弟の言行を記したもの。
儒家の聖典とされている。四書の一つ。)

{原文}
子曰、
君子欲訥於言、
而敏於行。

{書き下し文}
子曰く、
君子はげんとつにして、
おこないにびんならんとほっす。

君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す

君子は言に訥にして、行いに敏ならんと欲す

{意解}

先生がいわれた、
「君子は、弁舌がさわやかであるよりも、実践において勇敢でありたい」となる。
「口先よりも実行を」ということだ。「偉そうなことを言わずに、素早く行動しよう。」
TVに映る政治家には耳の痛い言葉だろう。

 孔子は「有言実行ゆうげんじっこう」を望んだが、基本的に雄弁に巧妙な言葉を操る人よりも、
思想や意志を素早く実践する人のほうが、より君子的であると考えていたようである。

訥言敏行とつげんびんこう

もっとも、 中国人は昔から自己主張が強く、弁舌がさわやかだったらしい。
とくに自分に不利益をこうむっていると見るや、猛烈もうれつにまくしたてる。

孔子だけでなく、思想家はそういう人たちを相手に語っているのだということを念頭に置く必要があるのかもしれない。

 その点、われわれ日本人は伝統的に自己主張を苦手とする。事を荒立てるよりも、泣き寝入りする傾向が強かった。私達はむしろもっと弁を磨いたほうが良いのかもしれない。しかし、そのことを考慮に入れても、雄弁な者は、度が過ぎると、かえってマイナスに作用する。主張すべき時には大いに発言すべきであるが、普段は寡黙かもくてっしたほうが良いのかもしれない。

中庸 第十三章に「言は行を顧み、行は言を顧む」とある。「言は行を顧み」とは  何かを発言するときは、自分の行動がそれに伴っているかどうかを考える。「行は言を顧む」は 何か行動を起こすときは 自分の発言を思い出す。「言行一致」言うことと、行うことを一致させることは 非常に難しく、往々にして、言うことが先走って 日頃の行動が伴っていない事を多々感じる。 人は誰でも、言行一致であることが望ましい。そのために「言は行を顧む」が必要なのだろう。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

ナオン について

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