第四章

天知る、地知る、我知る、子知る
ー天知、地知、我知、子知ー 十八史略 東漢
(十八史略:七巻。元の曾先之の撰。十八史略とは、十八史の要略の意で、
太古から南宋までの四千年間の史実を簡略に記し、初学者の課本に供したもの。)
{原文}(後漢書、楊震伝より)
至夜懷金十斤、以遺震。
震曰、故人知君、君不知故人、何也。
密曰、暮夜無知者。
震曰、天知、地知、我知、子知、何謂無知。
密愧而出。
{書き下し文}
夜に至り、金十斤を懐にし、以て震に遺らんとす。
震曰く、「故人、君を知る、君、故人を知らざるは、何ぞや」と。
密曰く、「暮夜なれば知る者無し」と。
震曰く、「天知る、地知る、我知る、子知る、何ぞ知るもの無しと謂うや」と。
密愧じて出ず。
{意解}
前訳を少し付け加えれば、
後漢王朝の時代、廉潔 で知られる
楊震という人物がいた。
東莱郡の長官に任命されて赴任する途中でのこと、
むかし目をかけてやった王密という男が面会を求め、
世話になったお礼だと言って、金十斤を贈ろうとした。
むろん、今後とも宜しくという意味である。
楊震はそれを受け取らず彼に言った
「貴方は私のよく知る人物だ。
なのに貴方は私の性格を忘れてしまったのですか?
これは何であるか?」
「いえ、よく存じ上げております。ですがどうかお受け取り下さい。
こんな夜更け、このことは貴方と私だけしか知りません」
と言って置いていこうとする。
楊震はそれを受け取らずに王密に言った
「誰も知らないことはあるまい。まず、
天が知っている、地が知っている、
私も知っているし、そなたも知っているではないか
(天知る、地知る、我知る、人知る)。
誰も知らないことはない。」
王密は恥じ入って退いたという。
この話は、楊震の「四知」として知られている。
聖職・官職にある者は、
これくらいの厳しさが望まれるのかもしれない。
又、不正行為はいつかは必ず発覚するという教訓でもある。
善い行いも然りである。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。