久しく尊名を受くるは不祥なり|久受尊名不詳|史記 貨殖列伝|

第四章 着実に生きる

久しく尊名を受くるは不祥なり

 

第四章 着実に生きる

 

ひさしく尊名そんめいを受くるは不祥ふしょうなり

ー久受尊名不詳ー    史記 貨殖列伝
(史記:百三十巻。前漢の司馬遷が撰した、中国最初の通史です。
上古の黄帝から、漢の武帝までの歴史を紀伝体で記しています。)


 陶で彼は再び売買をはじめた。この地をえらんだのは、
ここが諸侯の国と四方に交通する物資の中心地だったからである。
ここで彼は名を朱と変え、よく取引の相手をえらんで時機を見て物資を流通し、
また、たちまちのうちに数千万の富をきずいて、陶朱公とうしゅこうと呼ばれた。

 彼は十九年のあいだに三度も巨万の利を得、そのうち二度までこれを散じて
貧しい人々に分けあたえた。後年老衰すると家業を子孫にまかせたが、
子孫もまた巧みに生業なりわいをいとなんでますますその富を大きくしたという。

備考:
 「陶朱猗頓とうしゅいとんとみ
 猗頓いとんは春秋の魯の人。もと窮士きゅうしであったが、塩と牧畜によって富をきずき、
猗氏(山西省安沢県)に居して王公をしのぐ生活をした。
そのために猗頓(頓はたくわえの意)という。

ここから、世に富を云々うんぬんする者は、あるいは陶朱公を引きあいに出し、
あるいは猗頓の名を言った。ここから富者をさして「陶猗」と言い、
その富をたとえて「陶朱猗頓の富」と云う。  

「中国故事物語」の記載文より

人は誰でも栄誉を欲しがる。しかし、昇りつめれば転落が始まり、
栄誉も長く続ければわざわいのもとになる。

老子 道徳経 下篇に「功遂げ身退くは天の道なり」とある。
政界、財界、近くは公司こうし(会社)にいても成し遂げた後の
引き際を知覚ちかく(自覚)することは 非常に難しいが、

心の隅に止めておくべきなのかもしれない。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。