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世に伯楽あり、しかる後に千里の馬あり

 

ー世有伯楽、然後有千里馬ー    文章規範 韓愈 雑説
(文章規範:七巻。宋の謝枋得しゃぼうとくの編。科挙受験者のために規範となりうる分を集めたもの。諸葛孔明の「出師すいしの表」と陶淵明とうえんめいの「帰去来辞ききょらいのじ」以外は、唐宋の文を選んでいる。)

 

{原文}
世有伯楽、然後有千里馬。
千里馬常有、而伯楽不常有。
故雖有名馬、秖辱於奴隷人之手、
駢死於槽櫪之間、不以千里称也。

 

{書き下し文}
世に伯楽有りて、然る後に千里の馬有り。
千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。
故に名馬有りといへども、だ奴隷人の手にはずかしめられ、
槽櫪さうれきの間に駢死へんしして、千里をって称せられざるなり。

 

 

{意解}
世の中には伯楽(馬を見分ける名人)がいてこそ、

1日に千里も走る馬が存在する(伯楽が能力の高い馬を見出すから)。
千里の馬となる素質をもった馬はつねに世の中に存在するが、
伯楽はつねにいるというわけではない。

ゆえに、名馬がいたとしても、(その素質を見抜かれないために)
その馬は使用人の手によって粗末に扱われ、
馬小屋(槽櫪)の中で他の馬と一緒に首を並べて死んでしまい(駢死)、
千里を走るという名声を得ることもできないのだ。

 このように、千里の馬(駿馬・名馬)は
伯楽がいてこそ
見出されるのである。

 人も同じことである。
どんなに才能を持ち合わせていても、
それを見出してくれる名伯楽に出会わなければ、
その才能を開花させることは 難しい。

 

*「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。


 

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沈琳 二胡 女人花

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