第七章 人と接するための心得
人の悪を攻むるには、太だ厳なることなかれ
ー攻人之悪、毋太厳ー 菜根譚 前集 23
【菜根譚:明の洪自誠編。前集222条では人との交わり、事治、
対応の道を説き、後集135条では退静閑居の楽しみを論じている】
原文:
攻人之悪、毋太厳、
要思其堪受。
教人以善、毋過高、
当使其可從。
書き下し文:
人の悪を攻むるには、太だ厳なることなかれ、
その受くるに堪えんことを思うを要す。
人を教うるに善を以ってするは、高きに過ぐるなかれ、
当にそれをして従うべからしむべし。
意解:
人を叱ったり人を教えたりするときは、
会社の部下であれ、自分の子供であれ、
あまり厳しい態度で接してはならない。
相手に受け入れられる限度を心得ておくべきである、という。
直接自分とはかかわりのない人間であれば、過ちに気づいても、
気づかぬふりをして済ますことができるかもしれない。だが、
会社の部下や自分の子供であったら、立場上、放置しておくことは許されない。
それさえ叱れないようでは、それはもはや責任放棄に等しいのではないか。
問題はその叱り方だ。「菜根譚」は「人の悪を攻むるには、太だ厳なることなかれ」
人を叱るときには、あまり厳しい態度で臨んではならないと語り、さらに、
「相手に受け入れられる限度を心得ておくべきだ」と付け加えている。
厳しすぎるとなぜまずいのか、言うまでもなく、相手の反発を買って、
その割に説得効果があらわれないからだ。
感情的になってどなりちらすような叱り方は、
もっともまずいと言えるかもしれない。
「怒る」よりも「叱る」よりも「諭す」を肝に銘じておくべきだろう。
近思録に「人に接しては則ち渾てこれ一団の和気」とある。
一見して冷たさを感じさせる人物とか、
トゲトゲしい雰囲気を持った人物のもとには、人は集まってこない。
人に好かれるのは、親しみやすく、和やかな雰囲気を纏い、
暖かさを感じさせる人物である。それがここで言っている「和気」である。
「和気」もまた人間関係を円滑にする重要な条件である。
心の温かさ、そしてそこからにじみ出てくる「和気」、
これをもって接すれば、自ずと「諭す」に近ずくのではと思われる。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。