
知りて知らずとするは上なり
第七章
知りて知らずとするは上なり
ー知不知上ー 老子 第七十一章
【老子:二巻八十一章。道家の祖。老耽の撰と伝えられるが、
老耽が実在したか否かは明らかではない。
人為、虚飾を去って、無為自然であるべきことを説いている。別名「道徳経」】
原文:
知不知上、不知知病。
夫唯病病、是以不病。
聖人不病、以其病病、
是以不病。
書き下し文:
知りて知らずとするは上なり、知らずして知れりとするは病なり。
夫れ唯だ病を病とす、是を以て病あらず。
聖人は病あらず、其の病を病とするを以て、
是を以て病あらず。

知りて知らずとするは上なり
意解:
「老子」の一節である。
「知っていても知ったかぶりをしない。これが望ましいが、
知らないのに知ったかぶりをする。それは人間の大きな欠点である」
たしかに、知りもしないのに知ったかぶりをするようでは、
話にならない。
問題は、知ったあと、どうするかだ。
そんなこと百も承知しているとばかり、したり顔をしてまくしたてる。
これではかえって周囲の反感を買ってしまう。
上役との関係に例えれば、「あの件はどうなっている」と聞かれたら、
必要最小限度のことはきちんと答えられなければならない。だが、
聞かれもしないのにまくしたてるのは、
マイナスのほうが大きいかもしれない。
そもそも自分の欠点を欠点として自覚するからこそ、
それを改善でき、欠点も欠点ではなくなる。
無為の聖人と言われる人物は、
己れの欠点を欠点として謙虚に認めて改善していくからこそ、
欠点のない聖人と言われるのである。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。