
欹器は満を以って覆る
第二章
欹器は満を以って覆る
ー欹器以満覆ー 菜根譚 前集64項
(菜根譚:二巻。明の洪自誠の編。前集と後集からなり、前集では人と交わり、
事を治め、変に応ずる道を説き、後集では退静閑居の楽しみを論じている。)
{原文}
欹器以満覆、
撲満以空全。
故君子寧居無不居有、
寧処缼不処完。
{書き下し文}
欹器は満つるを以って覆り、
撲満は空しきを以って全うす。
故に君子は寧ろ無に居るも有に居らず、
寧ろ缼に処るも完に処らず。

欹器は満を以って覆る
{意解}
欹器はいっぱいになるとひっくり返り、
撲満(貯金箱)は空であるから存在することができる。
故に君子は無の境地に身をおき、
不完全な状態に甘んじていることが安全である。
「欹器」別名「宥坐の器」とも呼ばれている。
水を入れる器のことで、空のときは傾き、
半分ほど水を入れると真っ直ぐたち、
満杯にするとひっくり返るという。
「荀子」の宥坐篇に
あるとき、孔子が魯の国の宗廟を参観した際、
「欹器」に目をとめ、ためしに、
弟子に水を注がせると、、
満杯になった途端に、ひっくり返った。
孔子はそれを見て
「あぁ!いずくんぞ満ちて覆らざるものあらんや」
と、嘆き憤ったといわれる。
満ち足りた境遇にある者を
戒めた言葉に他ならない。
この言葉に続いて
「君子も亦、満ち足りた状態を求めてはならない」
と、「菜根譚」は警鐘している。
満ち足りた状態にあれば、
人は誰でも自己啓発に欠け、
進歩が止まってしまうからだろう。
*自己啓発:自己を人間としてより高い段階へ上昇させようとする行為
*「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。