第五章
窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず
ー窮則変、変則通ー 易経 繋辞下伝 第二章
(易経:「易」または「周易」ともいう。五経の一つ。
卜筮(ぼくぜい)の法によって、倫理道徳を説いたもの。
上下の「経」と、その注釈篇である。
「十翼」からなり、十翼は孔子の編と伝えられている。)
{原文}
窮則変、
変則通、
通則久。
{書き下し分}
窮すれば即ち変ず、
変ずれば即ち通ず、
通ずれば即ち久し。
{意解}
あらゆるものは絶えず変化していき、
事態がどん詰まりの状態まで進むと、
そこで必ず情勢の変化がおこり、
そこからまた新しい展開が始まる、
変化することで「通じ」、「久し」となる。という。
「易経」によれば、不変なるものは決して永遠にはなりえず、変化こそが永遠で、変化することで「通じ」、「久し」となる。これが人間世界を貫く不変の法則だという。
われわれの処世でもっとも気になるのは、窮した時、どん詰まりの状態に陥った時の生き方である。そうとうな人物でも、ここで取り乱したり、ヤケを起こしたりして進退を誤ることが少なくない。
「易経」のことばを信じるなら、そんなときこそ、あわてないで情勢の変化を待てばよいのだ。ただし、指をくわえてただ待つのではない。
「易経」のことばを借りれば、「器を身に蔵し、時を待ちて動く」なのである。つまり、能力(器)を磨き、それを身に蓄えながら満を持しているのだ。
こういう待ち方をすると、必ずや情勢の変化に応じて
新しい展望を開くことができるに違いない。
荀子 宥坐篇 第二十八に「遇と不遇は時なり」とある。孔子のような立派な人物でも、
世の中に容れられずに不遇に終わることがある。どんなに優れた人物でも、時勢に合わなければ埋もれてしまうものである。その時世に遇いさえすれば、何のむずかしいことがあろうか。故に君子は、学を博め深く考えを巡らし、身を修め行いを端し、後はただ時世の至るのを待つのである。と言っている。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。
至誠天に通ず、誠は天の道なり、これを誠にするは人の道なり。