第四章
敢えて天下の先たらず
ー不敢為天下先ー 老子 第67章
(老子:二巻八十一章。道家の祖、老タンの撰と伝えられるが、
老タンが実在したか否かは明かではない。
人為、虚飾を去って、無為自然であるべきと説く。道徳経。)
{原文}
下皆謂我道大似不肖。
夫唯大故似不肖。
若肖、久矣其細。
夫我有三寶。持而寶之。
一曰慈、二曰倹、三曰不敢為天下先。
慈故能勇。倹故能広。
不敢為天下先、故能成器長。
今捨慈且勇、舎倹且広、
舎後且先、死矣。
夫慈以戦則勝、以守則固。
天将救之。以慈衛之。
{書き下し文}
天下皆謂ふ我が道大にして不肖に似たり。
夫れ唯だ大なり、故に不肖に似たり。
若し肖ならば、久しいかな其の細なること。
夫れ我に三寶有り。持して之を寶とす。
一に曰く慈、二に曰く倹、三に曰く敢て天下の先と為らず。
慈なり、故に能く勇なり。倹なり、故に能く広なり。
敢えて天下の先たらず、故に能く器長と成る。
今慈を捨てて且に勇ならんとし、倹を舎て且に広くあらんとし、
後るるを舎て且に先んぜんとすれば死せん。
夫れ慈は以て戦へば則ち勝ち、以て守れば則ち固し。
天将に之を救はんとす。慈を以て之を衛らん。
{意解}
「老子」によれば、この世の中を無事に生きていくためには、
「三宝」則ち三つの宝が必要なのだという。
「人を慈しむからこそ、勇気が湧いてくる。物事を控え目にするからこそ、行き詰まらない。人々の先頭に立たないからこそ、逆に指導者として担がれる。いま、慈しむことを忘れて勇気だけを誇示し、控えめな態度を捨てて我先に駆け出し、退くことを忘れて先頭に立つことだけを考えれば、どうなるか。 破滅あるのみだ。全てのものを包み込む慈母の愛 、それが何ものにも優るであろう」と、老子は語っている。
これらはいずれも、乱世を生きるための英知と言っても良いだろう。
老子 第十八章に「大道廃れて仁義あり」とある。人にとって本当に守らなければならない事というのは、わざわざ言葉や、文字にしなければならないような ものでは無いと言う。 しかし、人はそんなに強心ではない、人として生きていくうえで規範的価値は必要と思われる。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。