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心ここにあらざれば、視れども見えず|中国古典 名言に学ぶ

心ここにあらざれば、視れども見えず

心ここにあらざれば、視れども見えず

第二章

心ここにあらざれば、れどもえず

ー心不在焉、視而不見、ー  大学 伝七章
【大学:一巻。もと「礼記」中の一篇であったが、宋代以降、
単行本として独立し、朱熹がこれを四書の一としたことから、
特に広く読まれるようになった】

原文:
心不在焉、
視而不見、

聽而不聞、
食而不知其味。
此謂脩身在正其心。

書き下し文:
心ここにあらざれば、
れどもえず、
けどもこえず、
らえどもそのあじらず。
これ、身を修むるはその心を正すにあり。

心ここにあらざれば、視れども見えず

心ここにあらざれば、視れども見えず




意解:
うわのそらであったなら、ものを見ていても見えておらず、
聞こえていても聞こえておらず、食べてもその味がわからない。
それらを受け止める五感は、ほんとうは心の働きである。

大学 伝七章は、心にこそ感受性の源があり、心が作用しなければ、
自分が向き合う対象の意味を理解することも判断することもできないと言っている。
誰しも思い当たる経験をしたことがあるのではないでしょうか。

孟子も言っています。
心を成長させるのには、欲望を少なくするのが最上の方法である。
欲望の少ない人で、良心のない人はわずかである。
欲望の多い人で、良心のある人はわずかである。

身の行ないを正すのは、その心を正すにあり ですね。

*参考資料:大学 伝七章

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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