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学ばざれば便ち老いて衰う|中国古典 名言に学ぶ

学ばざれば便ち老いて衰う

学ばざれば便ち老いて衰う

第二章


まなばざれば便すなわいておとろ

ー不学便老而衰ー   近思録 為学36
(近思録:十四巻。宋の朱熹・呂祖謙の共著。宋の学者、周廉渓・程明道・
程伊川の著書や語録の中から六百二十二条を選んだ、初学者用のテキスト。)

{原文}
不学、
便老而衰。

{書き下し文}
まなばざれば、
便すなわいておとろう。

学ばざれば便ち老いて衰う

学ばざれば便ち老いて衰う




{意解}
肉体は、病気で入院すると 退院する前には、リハビリをする。その時に、肉体は日々使わなければ衰えることを身をもって実感する。

頭脳も同じである、 使わなければ、学ばなければ、
脳細胞は衰えるのである。

「学」ぶ事は、本を読み、 学問をすることだけを意味してはいない。何かを身に付け、 自分を向上させようとする意欲が、精神的な緊張感を持続させ、それが衰えを防ぐ結果に結びつくのである。

同じ年齢でも、人により、老けて見えたり、若く見えたりと、かなり個人差がある。
その一つの要因に、前向きに意欲を持って生きているかどうかの違いが多分に影響しているように思われる。肉体的にも、頭脳的にも、生涯にわたって打ち込める対象を見つける事が衰えの防止に繋がるようである。

古文真宝に「謂うこと勿れ、今日学ばずして来日ありと」とある。社会に出てからは、学んだことを「事上じじょう」で 身につけることを忘れがちで学びて思わざればすなわくらし、思いて学ばざればすなわあやうし「後悔先に立たず」と 自己嫌悪じこけんおおちいった経験もあるのでは!学ぶことに遅すぎるという事はない。「勉強」は学生時代だけの専売特許ではない。若き日のバイタリティーを思い出し、「荘にして学べば老いておとろえず、老いて学べば死してちず」(佐藤一斎)だ。仕事に、雑事にかまけていたのでは、いつまでたっても、とりかかれない。思い立ったが吉日である。ゆっくりでもいい、 階段を上り続けることが必要だろう。階下も観えてくるはずだ。

*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。

私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。

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