第三章
大道廃れて仁義あり
ー大道廃有仁義ー 老子 第十八章
(老子:二巻八十一章。道家の祖。老耽の撰と伝えられるが、
老耽が実在したか否かは明らかではない。
人為、虚飾を去って、無為自然であるべきことを説いている。別名「道徳経」)
{原文}
大道廃有仁義、
知恵出有大偽。
六親不和有孝慈、
国家昏乱有忠臣。
{書き下し文}
大道廃れて仁義有り、
知恵出でて大偽有り。
六親和せずして孝慈有り、
国家昏乱して忠臣有り。
{意解}
人間本来の自然な生き方である無為自然の「大道」が失われてしまった故に、
仁義の概念が生まれ、
小賢しい知恵を振りかざす者がいる故に、 人々は偽り合う様になる。
家族が仲良く暮らしていない故に、 孝行とか慈愛という概念が生まれ、
国がひどく乱れて安定していない故に、 忠義の臣の概念が生まれる。
基本的に老子の批判の矛先が儒家に向いていることは、確かですが、
老子は「仁義」や「孝慈」の内容そのものを 否定しているわけではない。
それは本来もっと自然な形で、おのずと自然に行なわれるものであることを言っている。
人にとって本当に守らなければならない事というのは、わざわざ言葉や、文字にしなければならないような ものでは無いと云っている。 しかし、人はそんなに強心ではない、人として生きていくうえで道徳的価値観は必要と思われる。
論語 里仁第四 二十五に「徳は孤ならず、必ず隣あり」とある。
仁:思いやりの心
義:人道に従うこと
礼:人のふみ行うべき道。社会生活上の定まった形式
智:理解し判断する力
信:嘘がないことで得られる信頼
考:敬愛の念
悌:年長者を敬う
忠:主君に尽くす
道徳的価値観は他の人とともに共存している現代社会において重要だろう。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。