第六章
その能を矜れば、その功を喪う
ー矜其能、喪其功ー 書経 説命中
(書経:二十巻。「尚書」のこと。五経の一つ。堯、舜の伝説時代から夏、
殷を経て、周代に至る間の政治に関する記録。初めは単に「書」といったが、
宋代になって「書経」と呼ばれるようになった。)
{原文}
有其善、喪厥善。
矜其能、喪厥功。
自有其善、則己不加勉而德虧矣。
自矜其能、則人不效力而功隳矣。
{書き下し文}
其の善を有りとせば、厥の善を喪う。
其の能を矜れば、厥の功を喪う。
自ら其の善を有りとせば、則ち己勉を加えずして德虧く。
自ら其の能を矜れば、則ち人力を效さずして功隳る。
{意解}
善を持っていると思い上がると、持っている善を失ってしまう。
能(才能・能力)があると思い上がると、能力を失ってしまう。
自分が善を持っていると思い上がると、善に努めなくなるので
持っている善を失ってしまう。
自分に能があると思い上がると、能を磨かないので能力を失ってしまう。
「能」ー能力・才能。これは人が生きていくうえで有力な武器となる。これに恵まれた者は、成功する可能性が高く、リーダーとしての必要な条件の一つである。
しかし、持っている能力も、これ見よがしにひけらかし、思い上がると、たちまち周囲の反感を買ってしまう。反感を買うぐらいですめばよいが、赴くところ、最悪、功績も地位も失ってしまう場合も少なくない。歴史を調べてみると、そういう例がきわめて多いのである。
さすがにある程度年輪を重ねた者は、そのへんの機微をよく心得ているようで、鼻の先に能力をぶら下げて歩いているような人物は少ない。だが、若い世代には、けっこう、そんな人間が多い。こういうタイプは、よほど自覚して能力を隠すようにしないと、大成はむずかしいように思われる。
「能ある鷹は爪を隠す」
才能や実力のある者は、
軽々しくそれを見せつけるようなことはしないほうがよいだろう。
老子 玄徳 第五十六に「その光を和らげ、その塵に同じうす」とある。知恵の光を和らげ、俗世と同化させる。老子の「和光同塵」である。人間、自分の才能をひけらかしたり、「おれが、俺が」と出しゃばるような生き方をせず「道」のこういう偉大な徳を身につけることができれば どんな時代でも、生き抜いていくことができると 説いている。
*参考資料:「中国古典一日一言」守屋洋(著)をもとに、
自分なりに追記や解釈して掲載しています。
私たちは、日々、何をするにしても
大なり小なり、決断(選択)をしている
その折々に思い出し、
より善い選択(決断)ができるように
貴方も私も 在りたいですね。